こんにちは、双子入りの3姉妹を育てているとりつぃんです!
今日は双子妊娠生活がどのようなものだったかお話したいと思います。
双子を妊娠したけど、つわりって普通よりしんどいのかな?
やっぱり管理入院とかになっちゃうのかな?
双子の妊娠って普通より大変って聞くけど、実際どんな感じなんだろう?
仕事も休んだりしないといけないかなぁ?
自分もしくは家族が双子を妊娠した!
という方は不安でいっぱいと思います。
この記事では実際に双子妊娠生活を過ごした僕の体験談を語ります。
少しでも参考になれば嬉しいです。
一言で、先に結論を言うと…
すごく嬉しかったけど、すごく大変だった
です。そりゃそうですよね。笑
何が大変だったのかをお話していきますね。
・双子を妊娠して今まさに不安を感じている方
・またはその旦那さん
・またはそのご家族の方
・双子を妊娠して何が大変だったかパパ目線で紹介
⇒次から次へと起こるトラブルに対応する大変さ
仕事をしながら、ある日突然ワンオペ育児をすることの大変さ
・双胎間輸血症候群による入院や手術の体験談
・妊娠何週でどんな出来事が起こったか
双子妊娠生活
まず、初めに言っておくことがありますが、うちの妊娠生活は双子を妊娠した中でもかなり大変な部類だったようです。
出産した病院内で、嫁ちゃんは軽い有名人になっていましたから。笑
うちよりも大変なパターンももちろんあるでしょうが、全員が全員こうなる訳ではないと思うので、怖がり過ぎずに読んで下さいね。笑
大きなトピックスは下記です。
- 自然妊娠ではなく、不妊治療を経ての妊娠だった
- 嫁ちゃんのつわりと、僕の仕事のピークと長女のイヤイヤ期が重なって、妊娠初期はドタバタの毎日だった
- 嫁ちゃんの管理入院
- 双胎間輸血症候群の手術
- 手術後は経過が良くなるも、お腹の重さで嫁ちゃんが誇張なしに動けなくなる
- 最後の1か月は特にしんどかったようだが、最後は無事に出産
それでは順番にお話ししていきます。
不妊治療について
うちはもともと子供が出来にくく、ずっと不妊治療をしていました。
検査の結果、僕たち夫婦は自然妊娠は難しいだろうということがわかったので、
体外受精でやっと妊娠できたという状態でした。(当時2歳の長女ちゃんも同じく体外受精です)
その間にかかった費用はなかなかのもので…
2週間ぐらいのヨーロッパ旅行にいけるぐらいでしょうか(^^;)
現在、2022年目標に不妊治療の保険適用が検討されているようですね。
もう少し早く実現していれば( ;∀;)
0-22週 〜つわり×イヤイヤ期×繁忙期〜
一卵性の双子妊娠発覚
妊娠がわかったのは4月でした。
ただし、この時点ではまだ双子であることはわかっていませんでしたが。
世間では新型コロナウイルスが流行し、WHOがパンデミック認定したり、ヨーロッパの都市でロックダウンが起こったり、日本でも緊急事態宣言が発令されたり…不安が高まる状況(^^;)
今かい!と思いつつもめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
体外受精も1回あたりの費用が高い上に成功確率が低く、
嫁ちゃんの身体的にも、経済的にも負担が大きかったんです。
「次で決まってくれ〜!」→ 失敗、がっかり…
というのを何回か繰り返していましたので、喜びもひとしおでした。
嫁ちゃんのつわり×長女ちゃんのイヤイヤ期×仕事の繁忙期
さて、という訳でいよいよマタニティ生活が始まりましたが、ちょうどこの時は仕事の繁忙期でした。
つわりで苦しんでいる嫁ちゃんにイヤイヤ期真っ最中の長女ちゃんのお世話を全て任せて、自分は毎日残業で21〜23時ぐらいに帰宅する日々…( ´_ゝ`)
それにしても嫁ちゃんのつわりが、前回よりもひどい?
と思っていたら、検査の時に原因がわかりました。原因はズバリ「双子だったから」ですね。笑
ちなみに一卵性
「ええ〜、双子?!」ということで一瞬で色んなものが頭を駆け巡りました。
- え、大丈夫?
- 双子ってめっちゃ大変なんちゃうん?
- けど、楽しいかも?
- めっちゃ金かかる?
- 車買ったばっかりやのに…4人家族前提で
- 家買ったばっかりやのに…4人家族前提で
- 育休とらなあかん?
- やべー、確実に出世遅れる…
などなど。ネガティブ多めですね。笑
けどまぁなんだかんだで僕の結論としては、
「めっちゃ嬉しい」
これですね。
嫁ちゃんと子供について話す中で「子供は二人がいいね」ということになっていたのですが、実は僕は子供は3人欲しいと思っていました。
ただ、実際痛い思いするのは自分と違うしなぁ…ということで、嫁ちゃんの意見を優先させていたのです。
「子供3人となると、一人目がいる状態で二人目が双子やったらいけるな…まぁ無理か。笑」などと密かに考えていましたが、
まさかのその考えが実現しました。
つまり、「ラッキー」などと思っていました。笑
もともと楽観的な性格もあり、家も車も子育てもお金も何とかなるだろう!と。
双子が産まれるとわかった僕はその日からずっとウキウキしていましたが、だからといって現状が変わる訳ではありません。
仕事は相変わらず残業続きだし、嫁ちゃんは相変わらずつわってしんどそうだし、長女ちゃんは毎日元気にイヤイヤ言ってるし…
これらが重なって僕自身もこの時期はかなりしんどかったです。
嫁ちゃんに長女ちゃんの世話を任せるといっても、つわりで家事はあまりできず、
僕が帰宅してから一日分の後片付けをまとめてやる。という感じでした。
- 21時ぐらいに家に帰ってくる
- 長女ちゃんをお風呂に入れる(イヤイヤ言ってなかなか入ろうとしない)
- お風呂上がりに、嫁ちゃんが長女ちゃんの髪を乾かす間に、立ち食いで夕食をかきこむ
- 長女ちゃんを寝かせる(なかなか寝ない)
- 部屋の片付け
- 食器の洗い物
- 洗濯物
こんな感じで平日は自分の時間がほとんどとれず、寝るのは毎日AM1〜2時という感じです。
こんな感じで妊娠初期は
嫁ちゃんもしんどいし、自分もしんどいという感じが続いていました。
それでも体力はそこそこ自信がある方だったので、気合と根性で毎日頑張ってました。
この生活が大体4ヶ月ぐらい続いた後に事件が起きます…
22-25週 〜管理入院×転院×双胎間輸血症候群の手術〜
22週目 ~管理入院~
この時の僕は仕事家事育児に忙殺され、嫁ちゃんの体調をあまり気にかけてあげることができていませんでした。
もし、嫁ちゃんが入院とかしたらやばいな〜…でも今のところは大丈夫そうやし、考える余裕もないしな〜…
とか、思ってる矢先に突然決まったんですよね、入院が‼︎
原因としては、子宮頸管が短くなっていて切迫早産のリスクがある為とのことでした。
子宮頸管は赤ちゃんの通り道のことです。
まぁざっくり言うと、まだ妊娠中期にも関わらず、赤ちゃん出てきちゃうかも?っていう状態だったんですね。
早産になったとしても、こちらの病院では最低でも28週目以降である必要があるとのこと。
このときはまだ22週目でした。
つまり短くても6週間は入院が必要とのことでした。
そして、経過がよくなるかはわからないと…
ここでもまた色々な考えが頭を駆け巡ります。
- 赤ちゃんは大丈夫なの?
- 最悪流産や死産もあるってこと…?
- 早く産まれちゃったら、後遺症とか残る?
- 仕事どうしよ?
- これからしばらく長女ちゃんと二人暮らし?
もう軽いパニックでした。
どうする?!何する?!何からする?!て感じです。
とりあえず会社に嫁ちゃんの入院と、しばらく休む旨を連絡しました。
仕事の繁忙期も収まりつつあったので、ここは結構すんなりと受け入れてもらえました。
「大変なとこ悪いけど、仕事引継ぎの資料だけ作って」という感じの連絡を上司からもらったので、
「嫁ちゃんが退院するまでは休んでいいよ」っていうことやろうな?と受け取って、仕事の心配はとりあえずなくなったと思いました。(有給休暇はたくさん貯まっていたのでね!)
あとは自分ができることは、長女ちゃんとの二人暮らしをうまくやっていくことですが、ここもなかなか気合が必要です。
普段から簡単な家事育児はやっていましたが、子供の教育関係とか家の管理関係は嫁ちゃんに任せっ放しでした。
まずどこに何があるかがわからない…!
恥ずかしい話、通帳や印鑑がどこにあるかもわからないレベルでした。
しかもコロナ影響で面会はもちろんできませんし、
入院先の嫁ちゃんは安静の為に、電話可能な部屋への移動も制限されていたので、電話もできないという状況でした。
「え、電話もできない状態でメールだけで赤ちゃんが産まれて来るまで何ヶ月も過ごすの?」
この時の絶望感は今でも覚えてますね。
それでも嫁ちゃんとLINEのやり取りで、長女ちゃんを月イチの英語教室に連れて行ったり、週イチのプレ幼稚園(みたいなところ)の準備などを必死にやってる中、
会社から連絡があり、
「何とか出勤できない?」と。
なにーーー???!!!
そこの心配はせんでも良いと思ってたのに…
一時保育で長女ちゃんを預かってくれるとこ探さなあかんやん…
という訳で、ここからはシングルファザー生活が始まりました。
この辺の苦労については、こちらの記事にまとめていますので、興味あれば覗いてみて下さい。
23週目 〜転院~
さて、幸いにも入院が決まってからしばらくすると、盆休みが始まりましたので、その間は不安を抱えつつも長女ちゃんと二人で比較的ゆったりと過ごしていました。
ある日、長女ちゃんとビニールプールで遊んでいる時のことです。
嫁ちゃんから電話が…
なんと経過が思っている以上に悪いらしく、より大きな病院に転院しなければならないとのことでした。
すぐに移動するから1時間以内に病院に来て欲しい。しかも長女ちゃんは病院に連れていけない。また、転院先の病院がどこかはまだわからない。
???
一体何を言ってるんだろう…(´Д`)
1時間以内?急に出来る訳ないやん…
長女ちゃんは病院に連れていけない?じゃあどうすんねん…
てか、どこ行ったらええねん…
咀嚼するのに少し時間がかかりましたね。
よくわからなかったので、色々と嫁ちゃんに質問しますが、嫁ちゃんもよくわかっていない様子。病院のスタッフの方々はバタバタしており、正しい情報がわからないようでした。
自分としても次にどう行動すれば良いのかよくわからない状態でしばらく放心していました。
けど、いつまでも現実逃避する訳にも行かないので、とりあえず実家の両親に連絡。一時的に長女ちゃんを預かってもらわないといけません。
両親に連絡しますが、「いきなり言われても…」って感じで困惑しているよう。
立て続けに色んなところに電話している自分を見て、不穏な空気を感じ、長女ちゃんはずっと泣き叫んでいます。
とりあえずまずは長女ちゃんを落ち着かせる為に、プールで少し遊んでみますが、その間に嫁ちゃんと両親からの電話がずっと鳴っています。電話に出ると長女ちゃんがまた泣くので、一旦無視…
引き続き長女ちゃんと遊びます。
電話は鳴り続けます。
ずっと無視する訳にも行かないので、さすがに電話に出ます。ここでようやく転院先の病院がどこなのかわかりました。
しかし、電話に出たことで長女ちゃんが再び泣きます。
そして、すぐに行かないといけないので、プール終わるよと伝えますが、まだ遊ぶと言って、泣き続けます。
自分もイライラしてきます…笑
もう勘弁して…( ;∀;)
こういうカオス状態がしばらく続きましたが、何とか長女ちゃんを説得し、両親にも無理言ってきてもらい、
転院先の病院で、嫁ちゃんの状態や今後の治療の方針を先生に聞くことができました。
こちらの病院は大阪の中でも産婦人科がしっかりしていることで有名だそうで、不安はまだまだありますが、少しだけ安心感もありました。
嫁ちゃんの話では最初の病院よりも先生が断然しっかりしているとのことでした。
25週目 〜双胎間輸血症候群で2回目の転院~
病院を転院してから2週間程度が経ちました。
この頃は、長女ちゃんを保育園に送ってから仕事をするシングルファザー生活にも慣れてきて、生活も少しずつ落ち着いてきました。
今の生活も大変やけど、あと何か月かこの状態に耐えれば、無事に双子が産まれてくる!
と信じ、日々過ごしていました。
しかし…
ある日、いつものように子供を保育園に送って帰宅し、在宅でリモートワークをしていると嫁ちゃんから電話がきました。
前回の転院のトラウマがあるので、怖いな…と感じました。
恐る恐る電話に出ると、
嫁ちゃんの泣き声が聞こえます。
…
…
…
終わった…
流産 or 双子がお腹の中で亡くなってしまったのだと思い、目の前が真っ暗になりました。
何も考えられなくなりましたが、
僕の口は自動的に「どうしたん?」と聞いていました。
聞いた声は震えており、自分の声を聞いてさらに泣きそうになりました。
すると、もう一度別の病院に転院しなければならなくなったとのこと。
…
え、なんや転院か。
泣いている嫁ちゃんには悪いのですが、
一旦は赤ちゃんの死を覚悟したので、正直言ってめっっっちゃくちゃホッとしました。
詳しく話を聞いてみると、手術をしなければならないとのこと。それが不安で泣いていたようです。
今まで入院していたのは子宮頚管が短く切迫早産のリスクがあったから。
では、子宮頚管が短くなっている理由は?
これがわかっていませんでした。
双子の妊娠ではよくあることと聞いていたので、「そうなんや」ぐらいにしか思っていませんでした。
それが今になってようやく病院側で原因がわかったとのことでした。
その原因というのが、「双胎間輸血症候群」という病気です。
…
そーたいかんゆけつしょーこーぐん?
聞きなれない言葉が出てきましたね。
ざっくり言うと、双子の間で血液の循環が一方通行になってしまい、片方は多血で羊水過多、もう片方は貧血で羊水不足。こういう感じです。
ネットで検索すれば詳しい情報が出てきますので、気になる方は調べてみて下さい。
うちの場合は片方が羊水過多になってしまったことにより、子宮内が圧迫され、結果的に子宮頚管が短くなってしまったということです。
厳密に言えば、これ以外にも色々複合的な原因があったようですが、とにかく原因の一つはこの病気でした。
この病気ですが、子宮頚管が短くなる以外にも色々と問題があり、多血の赤ちゃんも貧血の赤ちゃんも両方危険で、すぐに手術する必要がありました。
さらに、この手術をできる病院があまりない為に、またしても転院する必要がありました。
という訳で、再び両親に連絡し、無理言ってきてもらい、長女ちゃんを預け(長女ちゃんはまたしてもギャン泣き)、転院先の病院まで行きました。
こちらの病院は周産期医療に関しては日本で有数の病院だそうです。
久しぶりに嫁ちゃんと再会し、二人で手術に関する説明を受けました。
手術を担当して下さる「若い男性の先生」と「もっと若い女性の先生」、また「メインの執刀医という部長さん」の3人に説明して頂きましたが、
3人とも落ち着いていて、話し方が丁寧かつわかりやすく、さらに具体的に数字付きで説明して下さるので、とても安心感を感じました。
しかも美男美女!笑
特に部長さんはどっからどう見ても仕事のできる渋いベテランの名医という雰囲気で、個人的にはこの先生方が主役の医療ドラマがあっても全く違和感ないという感じでした。
後から聞いた話ではこちらの部長さんは全国的な権威とのことです。
その先生方によると、赤ちゃんたちはよくない状態ではあるが、院内での手術の判例も多く、二人とも生存できる確率は70%、少なくともどちらか一人が生存できる確率は95%ほどであるとのことです。
手術
実際に手術があったのは次の日の朝です。
前日にうちに泊まってもらった僕の父と長女ちゃんと3人で朝から病院に向かいます。
コロナ影響で、実際に手術の待合室で待機できるのは自分一人です。
長女ちゃんはまたまた父に預かってもらいました。この時はもう長女ちゃんは泣かなくなっていました。
3歳の長女ちゃんにとっては厳しい環境が続いていますが、彼女も少しずつ強くなっているようで、嬉しかったです。
いざ手術に臨んだときは必死に成功を祈っていました。
「二人とも生存できる確率は70%」と説明を受けましたが、
それはつまり、イチロー選手がヒットを打つぐらいの確率で、双子のうちのどちらかが亡くなってしまう可能性があるということです。
つまり全く油断できない…
あまり信心深い人間ではないのですが、この日ばかりは
人生で一番本気で祈ったのではないか?というぐらい祈りました。
…
一時間程経ち、
結果として手術は無事に成功したと告げられました。
全身が震えるぐらいほっとしました。
この日を境に、今までの不安でいっぱいだった妊娠生活は少しずつ良くなっていき、長くて暗いトンネルに少し光が射したような気分でした。
ちなみに下の写真はお腹の赤ちゃんの足の写真です。
お腹に穴をあけて器具とカメラを入れて手術するというやり方だったので、
エコーではなく、お腹の赤ちゃんを直接撮影した写真を後から貰いました。
今回は足しか映りませんでしたが、運が良ければ顔の写真を撮れる場合もあるそうです。
25-37週 〜退院×再会×介護〜
25-28週目 ~3回目の転院~
手術後、手術を受けた病院で3週間ほど入院した嫁ちゃんは、経過が良かった為に、一つ前の病院に戻っていました。
この頃はもうだいぶ大きくなっている
まだまだ油断できないとはいえ、妊娠生活が始まってから、ようやく平穏な日々がやってきたという感じです。
29週目 〜退院~
今までが嘘のように、嫁ちゃんの経過は良く、手術後約1ヶ月で退院することに!
僕は転院の度に嫁ちゃんと再会してましたが、長女ちゃんからすれば約50日ぶりの再会!
「明日かか帰ってくるよ」と伝えても「?」って感じで喜んでるのかよくわからない表情(^^;)
ただ、実際に再会したときは嫁ちゃんも長女ちゃんもめちゃくちゃ嬉しそうで、僕も久し振りに嬉しい気持ちになりました。
しかし、喜びも束の間
30週目 〜再入院~
退院後、1回目の健診で再入院が決まりました。(何故退院させたんだ…)
家でも安静にしていたとはいえ、入院中の絶対安静に比べれば動き過ぎだったようで、それが良くないようでした。
一番可哀想だったのは長女ちゃんで、意味不明なワガママを言いまくって僕を困らせた挙句、「明日保育園行かない!かかに会いたい!」と泣きながらふて寝したのでした…。
そこからはまた入院生活が始まりましたが、ここまで来ると具体的な目標がたってきて、11月中旬に帝王切開というゴールが見えてきました。
34週目 〜再退院~
そして、帝王切開3週間前に再び嫁ちゃんが退院…!
今度は前回の反省を活かし、さらに安静を徹底。
前回の退院時は嫁ちゃんは長女ちゃんとの再会が嬉しく、長女ちゃんの要望を色々と聞いてあげてましたが、今回はそこを改善。
長女ちゃんの全ての要望は僕が応えることにしました。
さらには、リビング(1F)から寝室(2F)への移動をなくす為に、毎日リビングに布団を敷くという徹底ぶり。
その甲斐あって、今回は再入院は最後までありませんでした。
しかし、今度は別の問題が発生します。
35週目 〜嫁ちゃんの介護生活に突入~
いわゆる十月十日(とつきとおか)の1か月前(37週目)に帝王切開予定だったのですが、それでも赤ちゃんの体重はそれぞれ2kgを超えていました。
2kg以上×2と、他にも胎盤や羊水も含めると赤ちゃん関係で合計7~8kgの重量物をお腹に抱えながら過ごすことになります。
当然、母体への負担は半端ではなく、帝王切開2週間前ぐらいから股関節がおかしくなり、嫁ちゃんは一人で歩行もままならない状態になっていました。
家の中でも常に何かにつかまりながら移動しているという状態…!
何もないところでは僕が常に支えながら歩くという状態で、
嫁ちゃんを介護をしているような状態でした。
嫁ちゃんからすると、帝王切開前の最後の2週間は特にしんどかったようで、
- 慢性的に体全体が痛い〜!
- あと〇日もある~…!長い~!もう無理~!
- 何か美味しいもの食べたい〜!
と常に言ってました。
出産 〜破水×不安×すんなり〜
嫁ちゃんからすると、地獄のような最後の2週間だったでしょうが、それでも一応は予定通り順調に赤ちゃんはお腹の中で大きくなっていったようで、
いよいよ帝王切開の日が迫ってきました。
37週目 〜帝王切開予定日前日に破水~
予定では帝王切開の前日に病院に入院して、次の日に手術という予定でした。
いつものように、長女ちゃんを保育園に連れていき、「今日からまた、かかおらんで。けど次会う時は、赤ちゃんも一緒やで」と伝えると、長女ちゃんはまたまた嬉しいのかよくわからない表情…笑
嫁ちゃんと一緒に病院に向かいますが、なんか尿漏れがいつもより多いとのこと。(妊娠後期では尿漏れはよくあることです)
入院手続きを済ませ、嫁ちゃんに「頑張って!」と声をかけ、病院を離れますが、すぐに嫁ちゃんから電話が。
なんと破水しているとのことです。
尿漏れ多いと感じていたのは破水だったということでした。
帝王切開予定日の前日に破水するとは…
お腹の双子達は空気読めるのか読めないのか…笑
という訳で急遽病院まで引き返し、待合室で待機していました。
今回の妊娠生活は次から次へとトラブルが起こり、最後の最後でも急な破水ということで、待合室でも緊張して待っていました。
「まだ何か起こるかもしれない…」
最後はすんなり
しばらくすると赤ちゃんの泣き声が聞こえてきましたが、手術が始まってからほとんど時間も経っていなかったので、どこか別の新生児だろうなと思っていると…
看護師さんに呼ばれ、「産まれましたよ!」とのこと。
え、、、
早っ!!!笑
今まで散々苦労してきましたが、最後だけは超絶すんなりと産まれてきてくれました!!
コロナ影響で新生児と会える時間は出産直後の一瞬だけ。
この次会えるのはまた1週間後です。目に焼き付けておきました。笑
こうやって無事に双子が産まれたのでした。
双子妊娠生活の総括 〜感謝×感謝×感謝〜
双子が産まれてくるまでの妊娠生活を振り返ると、本当に色んなことがありました。
本当に大変でしたが、一番感じていることはお世話になった方々への感謝です。
- 不妊治療のクリニック
…(そもそもこちらがないと、うちは妊娠すらできていません) - 入院先の病院
…(長期間に渡る適切な医療) - 会社の同僚たち
…(手が足りなさ過ぎて仕事サポートしてもらいまくりでした) - 一時保育先の保育園
…(うちを優遇してくれてる感がひしひしと伝わってきました) - 手術を受けた病院
…(双胎間輸血症候群の手術後は一気に良い方向に傾きました) - 両親
…(転院の度にイヤイヤ全盛期の長女ちゃんを預かってくれました)
たくさんの壁がありましたが、これらのサポートのおかげで一つ一つ越えていくことができました。
もし病院側の対応が悪ければ、双子ちゃん達は産まれていなかったでしょう。
しかし、良い医療を受けることができ、双子ちゃん達に会うことができました。
もし自分一人だけなら、僕達夫婦は肉体的にも精神的にも壊れていたでしょう。
しかし、良い環境に恵まれたおかげで今日も僕たちは元気です。
本当に本当に感謝しています。
最後に
以上が僕の体験談です。
想像通りだったでしょうか?想像より大変そうだったでしょうか?
病院の方の反応を見ていると、うちは平均よりもかなり大変な部類だったみたいです。
この記事を読んで、双子を妊娠された方とご家族の方には、双子妊娠中の生活が少しでもイメージできたかと思います。
全員が妊娠中期で管理入院になる訳ではないと思いますが、妊娠後期での管理入院の確率は高いと聞きます。
今の内に、何かしらの準備をしておきましょう!
何を準備すれば良いのかわからない方は、こちらの記事も参考にして頂ければ幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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